このバナーをクリックすると、近畿ろうきんNPOパートナーシップ制度を利用した被災地支援ボランティア事業の一覧を見ることができます。大阪ボランティア協会のサイトへ飛びます


プロフィール
しがNPOセンター
しがNPOセンター
認定特定非営利活動法人

し が N P O セ ン タ ー

近江八幡市桜宮町207-3

 K&Sビル3F

 TEL:0748-34-3033 
 FAX:020-4664-3933
 E-mail:shiga.npo@gmail.com
QRコード
QRCODE
※カテゴリー別のRSSです
何でも相談のページへリンク

2019年10月01日

大津市は大丈夫か!

           しがNPOセンター
                     代表理事 阿部 圭宏

 大津市が9月議会に提出していた公民館をまちづくりの拠点となるコミュニティセンターに変更する条例案を撤回し、内容を見直した新案を再提出するという。

 市内36カ所の市民センターに併設された公民館をまちづくり拠点としてコミュニティセンターに転換するというという仕組みは、すでに草津市や東近江市でも行われているもので、地域に設置されたまちづくり協議会を指定管理者として運営している。必ずしも運営がすべてうまくいっているというものではないが、まちづくり協議会という仕組みが地域に根付くためのベースとなっているのは確かだ。

 大津市が進めようとしているコミュニティセンターへの移行は、まちづくり協議会への指定管理が前提であることから、本来、学区すべてにまちづくり協議会ができてから行うべきものだ。しかし現状では、協議会そのものはまだ1つもできておらず、準備委員会ができているのもわずか7学区という惨憺たるものだ。

 本当にまちづくり協議会をつくることの重要性が、市民にしっかり説明されているのだろうか。市としては、説明しているということなのかもしれないが、多くの市民には、なぜ必要なのか、どのようにつくるべきか、運営はどうするのかなどが見えていないのである。筆者も草津市や東近江市のまちづくり協議会立ち上げにあたり、説明会、ワークショップなどの開催にも関わってきたことから、市民の理解を進めるためにも、説明をていねいに行うことの大切さを実感している。

 大津市長が行財政改革の推進という視点から一方的にコミュニティセンター化を進め、安く地域で運営してもらおうとする考え方は、市長の新自由主義者たる姿勢を如実に表している。一律のコミュニティセンター化が議会で否決される雰囲気になると、学区ごとに設置できる時期を決められるものに修正して議案を再提出するというのも、いかにも地域自治をバカにした考え方に思われる。

 もし、修正案が議会を通れば、どういう状況が想定されるか。一部では、まちづくり協議会ができ指定管理が始まるだろうが、安い指定管理料が地域の不満を増大させ、地域でのまちづくりが推進されるかは先が見えない。一方、永久にまちづくり協議会が立ち上がらない地域がかなり残るのではないか。そうなると、その地域は切り捨てられてしまうだろう。まさか、こんな案に賛成する議員がいるのだろうか。

 5月のコラム「大津市の支所統廃合とまちづくりの課題」でも指摘したとおり、地域自治の仕組みがしっかりと地域に根付くには、順番を間違うとうまくいかない。

 まずは、この2年間で、すべての学区にまちづくり協議会を立ち上げてもらって、市として一定の活動費を渡すということに専念すべきだろう。それをベースに、コミュニティセンター化をして、まちづくり協議会を指定管理者になってもらう。その場合、地域のまちづくりを担うべきコミュニティセンターのスタッフには、しっかりとした給与を出せるような指定管理料の設定でなければならない。

 このままの強行は失敗する。地域自治推進の原点に立ち返り、市民も議会も行政も知恵を出し合って取り組むしかない。


  


Posted by しがNPOセンター at 09:30シリーズ【阿部コラム】

2019年09月01日

隣国と仲良くするには

           しがNPOセンター
                     代表理事 阿部 圭宏


 「韓国という病」「韓国も肩を持つ反日日本人」「NO韓国~絶縁宣言!」という右派月刊誌のどぎつい見出し。書店へ行けば、もっと露骨な嫌韓本が平積みになっていたりもする。テレビでは、ほぼ韓国が悪いという視点での番組が多くを占め、新聞でも日韓関係の悪化は韓国側の問題が多いとする報道が多い。最近では、地上波でヘイト発言をするコメンテーターまで出てくる始末だ。7月の朝日新聞の世論調査では、韓国への輸出規制強化を妥当とする意見は56%となっていて、連日の韓国へのバッシング報道が大きく影響をしていると思われる。

 韓国への輸出規制強化は、参議院選挙に合わせて打ち出された。その理由は韓国の安全保障上の問題とされたが、その具体的な事案は示されていない。経産大臣は元徴用工問題での対応が信頼を損なわせたとツイッターで理由の一つに挙げているが、政府は公式には徴用工問題とは別だと強弁している。輸出規制は負の連鎖を生み、韓国のGSOMIA(軍事情報包括保護協定)破棄まで至り、お互いに後戻りができないかのように両国の関係は最悪となっている。

 そもそも徴用工問題は、第二次世界大戦中日本の統治下にあった朝鮮および中国での日本企業の募集や徴用により労働した元労働者及びその遺族による訴訟問題で、この間複雑な経過をたどってきた。

 1965年の日韓請求権協定では、韓国側の請求権は消滅していて、「完全かつ最終的に解決された」とされているが、日本政府は厳格な意味での個人の請求権が消滅したとするものではないという立場をとってきた。それは、戦後補償の中で、その場その場での詭弁を弄してきた結果でもある。90年代には戦後補償を求める動きが活発化したが、請求は全て棄却され、政府の主張を裁判できない「救済なき権利」と主張する政府の見解を最高裁も追認してきた。

 韓国の大法院判決は、日韓請求権協定は植民地支配に対する賠償を請求するためのものではなかったと断じ、個人請求権のみならず、外交保護権も消滅していないという判断になっている。日本政府は、従来の見解の元に、国際法違反であり、そうした司法判断は韓国国内で解決すべきと言っている。日本の新聞の論調も保守、リベラル問わず、ほぼ同意見である。

 一方、判決に対して、弁護士有志による「元徴用工の韓国大法院判決に対する弁護士有志声明」が出されている。徴用工の問題の本質は人権問題なので被害者や社会が納得できる解決策が必要であり、個人請求権は消滅していないのだから、日韓両政府と企業が真摯に向き合って解決に向けて努力すべきと述べている。

 テレビでは、徴用工が人権問題なのだということは一切触れられずに、ひたすら韓国は変な国だということを煽っている。こうした煽りに惑わされずに、われわれは冷静に対応すべきとだと思う。政治の不信だけでなく、その影響は市民生活や民間交流にも及んでいる。官房長官は、「日韓関係が困難な状況にあっても民間交流やスポーツ交流はしっかり続けるべき」と記者会見で言ったそうだが、ここは、民間交流やスポーツ交流がしっかりできるように政治家はしっかり仕事をしろと言いたい。
  

Posted by しがNPOセンター at 10:15シリーズ【阿部コラム】

2019年08月01日

市民が書くことの意味

           しがNPOセンター
                     代表理事 阿部 圭宏

 しがNPOセンターのホームページに毎月コラムを掲載するようになって丸6年が経過した。その時々に感じたことを自分の視点でまとめるようにしている。と言っても、月末になると、次は何を書こうかと思い悩むことは結構ある。

 インターネットが普及して、市民が情報発信する機会は確実に増えた。ブログに始まり、ツイッターやフェイスブックなどで多くの市民ライターが投稿の機会を得ている。SNSの普及によって、誰でも気軽に文章をつくり、投稿という手段で、自分の周りに起こっている出来事や自分の考えを気軽に表明することができるようになったことは、喜ばしいことである。

 SNSの特徴は、即時性と手軽さに加え、写真や動画を加えることでの分かりやすさや臨場感を増幅させる機能であると言えよう。ただ、ツイッターは140字という字数制限があるし、フェイスブックは主に友達間の情報交換のようにも思われるので、SNS以外のものにしっかりと書く習慣を身に付けることは大事だと思う。

 そもそも、市民が書くとはどういうことか。筆者がかつて自治体職員だった頃には、あまり本も読まず、仕事以外に文章を書くなどということをしてこなかった。市民活動に関わると、社会のいろんなものが見えてくるし、関心のあることを熱心に調べるようになる。自分なりの考え方もまとまってくるし意見表明もしたくなる。これは動機の一つでしかないが、プロの文筆家でない市民が取材したり、インタビューしたり、本を読んだりしながら文章を書き、必死に読者に訴えることは非常に大切な視点だ。

 話すだけでは、伝えたいことが相手に十分伝わらない場合は結構ある。書くことで、自分の考えをまとめることができるし、正確に伝える手段となる。市民活動団体が発行するニュースレター、新聞や雑誌への投稿、自分のブログなど、市民ライターが活躍する機会は結構多くある。思いを文章化し発表することで自己実現することができ、社会参加へとつながる。多くの市民がライターになることで、多様な言論空間をつくることが可能となる。
  


Posted by しがNPOセンター at 09:05シリーズ【阿部コラム】

2019年07月01日

新書で読み解く平成時代とは

           しがNPOセンター
                     代表理事 阿部 圭宏

 昭和から平成への移行は一億総自粛、今回の改元時はお祭り騒ぎ。いずれの現象にも違和感を持ちつつ、西暦が一般に使われる中での和暦使用の意味は何なのだろうと改めて考えさせられる。と言いながらも、改元による時代の括りというものが一種の流行になっているのは確かだ。かつては、明治・大正・昭和という時代を日本の近代化の中から分析するようなことが行われてきたし、今回も書店へ行けば、「平成史」の名の付く書籍が店頭に並ぶ。

 歴史を一言で言い表すことは難しいし、時代が進むことにより、歴史評価も変わる。実際、筆者が中高生時代に習った歴史と今の教科書では違うことが書かれていることもよくある。それは歴史研究が進んだ成果でもあるが、時代によっての見方や評価の変化も大きいからだ。同様に、平成という時代を一括りにして論じてみても、現時点の時代の一つの見方でしかないことをことを断った上で、平成時代は、この国がバブルの絶頂期から衰退期に向かって進んできた時代だったと言えるかもしれない。この30年間、経済は停滞し、政治も劣化し続けていることに加え、自然災害が頻繁に発生してきた。

 平成時代を各人が総括し、次代をどのように考えるのか。参考となる新書5冊を紹介したい。

 まず、天皇制である。原武史『平成の終焉–退位と天皇・皇后』と伊藤智永『「平成の天皇」論』の2冊は、ともに2016年の天皇のビデオメッセージ「おことば」から論を展開している。二人の切り口は同じとは言えないが、ともに深い考察となっている。日本国憲法の中で象徴とされた天皇制を明仁天皇(現上皇)はどのように考え、実行してきたか、退位への決意や皇位継承問題などにも鋭く切り込み、政治との軋轢、民主主義と相性のよくない天皇制を今後どうしていくのかを考えさせられる。

 あとの3冊は政治についてである。1冊目は、中北浩爾『自公政権とは何か–「連立」にみる強さの正体』を取り上げたい。90年代からの政治改革の流れ、非自民政権、自社さ政権、自自公から自公政権、民主党政権、政権復帰後の自公政権という一連の流れを概観しつつ、なぜ、この連立政権が強いのかを多角的に分析している。

 2冊目は、三春充希『武器としての世論調査−社会をとらえ、未来を考える』である。筆者は、11の新聞社、通信社、テレビ局が毎月実施している定例世論調査を分析しながら、その実態を分析している。国政選挙の投票動向を日本地図に落とし込んで可視化もされている。政治参加の重要なファクターとして選挙があり、世論調査の積極的な活用が可能だと説く。政治への信頼を取り戻すことが支持を上げることにつながる。

 3冊目は、明石順平『国家の統計破壊』である。厚生労働省の毎月勤労統計調査での不正が発覚した。これにより、賃金が上振れしていたというのだ。本書は、不正はそれだけでなく、実質賃金の伸び率が隠され、さらにはGDP算出基準がが勝手にいじられ、アベノミクスがさも成功しているのではないかと思わせるような偽装が行われている状況を詳しく分析している。
 
 混沌とした時代だからこそ、自分の意見を持ち、しっかりと発言していくことが大切だと思う。ぜひ、お読みいただきたい。

『平成の終焉–退位と天皇・皇后』原武史著(岩波新書、2019年3月)
『「平成の天皇」論』伊藤智永(講談社現代新書、2019年4月)
『自公政権とは何か–「連立」にみる強さの正体』
中北浩爾著(ちくま新書、2019年5月)
『武器としての世論調査−社会をとらえ、未来を考える』
三春充希著(ちくま新書、2019年6月)
『国家の統計破壊』明石順平著(インターナショナル新書、2019年6月)
  


Posted by しがNPOセンター at 09:27シリーズ【阿部コラム】

2019年06月03日

大学のこれから

           しがNPOセンター
                     代表理事 阿部 圭宏

 文部科学省の2018年度学校基本調査によると、大学(学部)の進学率は53.3%となっている。2009年度に初めて5割を超えた進学率は、ここ10年堅調に推移している。大学進学率が高いことにより、日本の高等教育の未来が、必ずしも輝いているとは言えない。

 最近の大学をめぐる状況をいくつか列挙する。

 まず、奨学金問題から。返済が必要な日本学生支援機構の奨学金を借りている学生は半数近くになるそうだ。就職すると、直ちに返済が始まり、返済が滞ると、厳しい取り立てが行われ、返済の滞納は社会問題化している。奨学金という名前を借りた教育ローンが学生に重くのしかかっている。

 なぜ、多くの学生が借りているかと言えば、国公立大学の授業料が上がっていることもその要因に挙げられよう。

一方で、国立大学は独立法人化されて、国からの運営交付金が毎年1%ずつカットされている。その影響は、教員数に影響を与えていて、退職者があっても補充せず、非正規教員を充てるということが行われている。大学の自治はどこにもなく、ますます文部科学省の支配が強まり、競争資金は一部の大学に集中し、地域人材を供給してきた地方国立大学は存亡の危機に晒されている。このような中で、防衛装備庁が2015年度から開始した「安全保障技術研究推進制度」による研究費に手を挙げる人たちが出てくるなどの問題が出ている。

 東京大学に関する話題もいくつかある。これまで東京大学の文系でもっとも難易度が高いとされてきたのが文科一類(法学部)であるが、今年は合格者の平均点が文科二類(経済学部)のほうが高かった。優秀な人材は官僚になってという時代ではないらしい。最近は、東大法学部を出ても、外資系企業に就職する人が多いそうだ。国のためより、手っ取り早く金でということでの文化二類志望だろうか。東大生の親の62.7%が年収950万円以上だという統計もあり、本人の能力に加え、恵まれた学習環境が進学に影響していることも間違いのない事実であり、ここにも格差は生まれている。

 しかし、東京大学は、イギリスの高等教育専門誌「THE(Times Higher Education)」が発表した2019年「THE世界大学ランキング」では、前回より順位を上げたものの42位で、京都大学は62位だった。アジアでは、中国の台頭が目立ち、日本の大学の大半は依然として衰退、あるいは静止状態と評価されている。

 日本の場合、教育を取り巻く環境は厳しい。高等教育に限らず、教育費の国庫負担は極端に低いため、個人の負担が大きい。福祉と同じで、教育も自己責任という感じが強く、社会で教育環境を整えるという発想にならない。リカレントも含めて教育に力を入れている国は、いろんな意味で将来性がある。増税があっても、教育という目に見える形でのサービス提供があれば、誰もが納得するはずだ。

 今後、日本の大学は少子化の影響を受けて、縮小していかざるを得ないが、将来を見据えたビジョンを誰が示せるのか。一人ひとりが真剣に考えないと本当に沈没する。

  


Posted by しがNPOセンター at 09:05シリーズ【阿部コラム】